下記は2025年12月12日にnoteに投稿した内容をそのまま掲載しています。
エッセイ風の文章になっているため、苦手な方はご注意ください。
会食恐怖症関連の書籍を本屋で探した時に、現状は数えるほどしかないのが実情なんだけど、新たな本がコミックエッセイという読みやすい形で登場した。
これが非常におすすめなので紹介したい。
会食恐怖症だった私が食べられるようになるまで
この本の副題。
私も長年にわたって会食恐怖症を抱えているから共感しやすい側の読者ではあったんだけど、それを除いてもとにかく読みやすいの一言。
笑ったり泣いたり、色んな感情で楽しく読むことができた。
ある日突然、食べられなくなった

物語は、とんかつ屋で気の知れた同僚と大好きなとんかつを食べるシーンから始まる。いつもと同じ人と、いつもと同じ食べ物。なのになぜか気持ち悪くなり、頭から油をかけられているような違和感を感じる。
その日は違和感のまま終わったが、翌日に会社の主任とランチを同席することになってしまう。また同じように症状が出るのが不安になり、直後案の定手が震え、食事が喉を通らなくなる。胃に異変があるのかと思うが、自宅で一人でご飯を食べるときは平気なことに気付く。
藁にもすがる思いで内科・消化器科クリニックに受診したところ、先生にこう言われる。
「あなたの症状は、精神的なものです」
職場、病院の先生、親友など様々な人とのコミュニケーションを通して、会食恐怖症の苦しさの中で自分自身と向き合っていく過程を描いた作品。
のどにゴムボールが詰まる感覚

この作品はほんわかしたタッチの中で、会食恐怖症の人が抱える苦しみを強烈に描いている。会食恐怖症でどのような症状が出るかは人によるのだが、筆者の場合は「のどにゴムボールが詰まる感覚」という表現を使っていた。
これは当事者からすると比喩でも何でもなく、本当の出来事の様に思える。とにかく苦しくて、視界が歪んで、食べられないどころかこのまま死んでしまうんじゃないかとすら思う。
迫りくる行事

そんな症状を持っているなんてことはつゆ知らず、社会は回り続ける。この社会で生きていると、食事というのはどこからでもついてくる。そのたびに納得してもらえるような理由を付けて断るというのは相当難しくて、結局どこかで行かなければいけないタイミングが出てくる。
そのたびに症状が出て、苦しんで、余計外食が怖くなって、自分がもっと嫌いになる。その繰り返しで、生きているだけで苦しくなってくる。
だからこの疾患を抱えたまま生きていくことは難しくて、結局は死ぬ気で克服する方向に向かわざるを得ない。
医者との相性

だからまずは病院に行く流れになるんだけど、いかんせん会食恐怖症という疾患は症例が少ない。医者の対応方針も多岐にわたる。
この作品では3つの医療機関に行くことになるんだけど、私も同様に今まで3つの医療機関で相談したことがある。
やはり客観的に判断できるプロフェッショナルとの出会いは症状の緩和に大きく影響するのだと改めて思わされた。
残すわたしは悪い子?

会食恐怖症の原因の6割以上は『完食指導』と言われている。
筆者も例外ではなく幼少期に父親に怒鳴られるシーンが何度もフラッシュバックするんだけど、過去は変えられない。
完食指導というのは令和のこの時代でも様々なところで行われていて、様々な子供が食べきれないことによって怒られている。これがトラウマとなり、将来会食恐怖症という症状として現れ苦しめられる。
ここから逃げよう

終盤に訪れるセンセーショナルなシーン。
会社の窓を見て、自分がそこから飛び降りることを想像する。
正直な話、私もこれをしたことがある。
「食べられない」ぐらいで自分で自分の命を絶つなんてのはおかしいと思われるかもしれないが、そのときの私はそんなことなど考えている余裕がなかった。しかし、結果なんだかんだ私は今も生きていて、結果的に今は生きていてよかったと思っている。
私がいま向き合うべきことは…
追い込まれた主人公は、会社を辞めて自分と向き合うことに専念した。
「すべての悩みは対人関係の悩みである」というアドラーの言葉は有名だけど、実際会社のストレスで潰れかけている人は会社を辞めるとその悩みの大部分が解消される。その結果、今まで見えていなかった自分自身と向き合うことができる。
不安はあるけど、私も漠然とそういうタイミングが必要なんだろうなと感じている。
誰かとご飯を食べる幸せは、当たり前にあるものではない

この記事を書いている今この瞬間も、世界では数えきれないほど沢山の「会食」が行われている。
取引先と、同僚と、家族と、友人と、恋人と、気になる人と。
そしてそれが突然できなくなったとき、人間はどん底まで突き落とされる。中には命を絶つことすら考える人だっている。
それはたぶん、生きることと食べることが密接に結びついているから。
うまく言えないけど、誰かと一緒に何かを食べることって誰かと一緒に生きることに近いのかもしれない。
だから、会食恐怖症を克服した人は会食恐怖症になったことがない人よりも幸せに生きているように見えることが多い。
それは、人と食事をすることの喜びを本当の意味で知っているから。その幸せが当たり前じゃないことを知っているから。
私を含め会食恐怖症で苦しんでいる人は、その幸せを掴むチャンスを持っている。
だから会食恐怖症になったのは神様からの贈り物…なんてのは良く捉えすぎかもしれないけど、きっと幸せになれるはず。
もしいま会食恐怖症に悩んでいる人は、できそうなところから一歩目を踏み出してみてほしい。
私も不完全ながら、今後はそのサポートがしたいと思った。

